凍える鏡
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秋葉原、八王子の事件に思う
  〜大嶋拓(「凍える鏡」監督・脚本)のつぶやき〜


ここのところ、たて続けに悲惨な事件が報道されています。6月には秋葉原、7月には八王子で無差別殺傷、また川口では少女が実の父親を殺害するという事件も起きました。
これらの加害者に共通して見られるのは、親に対する、もはや抑えきれないほどの恨み、憎しみです。秋葉原の事件の容疑者は、携帯サイトに「一人だけ殺していいなら母親を、もう一人追加していいなら父親を」と明確な殺意を書き込み、八王子の容疑者も、「親に迷惑をかけようと思った」と、犯行の背景に親への復讐心があったことを認めています。これらの心理は、今年の早春に公開した映画「凍える鏡」の主人公の心理とあまりにも共通しており、その相似には正直、動揺を禁じえないのです。

映画の中で主人公の瞬は、
「あいつ(母親)は、オレが絵のコンクールで入選した時だけ、オレをほめてくれた。よその母親に自慢できるからだよ」
と、涙ながらに語ります。一方、秋葉原事件の容疑者は、携帯サイトに、
「親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ。中学生になったころには、親の力が足りなくなって、捨てられた」
との記述があります。そこから浮かび上がってくるのは、子どもを無条件に愛し受容するのではなく、親の望む条件をクリアすれば愛するが、そうでなければ無能とみなし容赦なく突き放す、冷血でエゴイスティックな親の姿です。私はそんな冷たい親のことを「凍える鏡」と表現したのです。

条件つきでしか愛されなかった子どもは、常に親や周囲の顔色をうかがうようになり、認められること、賞賛されることだけを人生の目的とするようになります。それは、幼少期に与えられなかった愛情を、どうにかして補完するための、哀しい代償行為です。しかし、常に賞賛を求める独善的な態度では、周囲の人間も次第に離れていき、結果として、孤独感、疎外感だけが膨れ上がっていきます。

「どうして誰も自分を愛さないのだろう。こんな人生なら、いっそすべて終わりにした方がましだ。しかし、世の中にしあわせな奴がのさばったままなのは許せない。復讐だ!自分を無視し続けた世間と、何より自分をこんなにした親への復讐だ!」
彼らの心の声をセリフにすれば、そんなところでしょうか。

もちろん、私はここで彼ら殺人者を擁護しているのではありません。たとえ幼少期に条件つきの愛情しか与えられず、ねじ曲がった心のまま大人になってしまったとしても、成人した人間には、一個の人格として真っ当に生きていく義務と責任があります。いつまでも親のせいばかりにしていいはずはないでしょう。
しかし、そんな義務や責任をよそに、二十歳をかなり過ぎた「成人」であるはずの彼らが、現実に「親への復讐」というお題目を掲げて凶行に臨んでいるわけで、そこにこそ、現代の根深い病理があると思うのです。「凍える鏡」の中でも、主人公の瞬は、「心のゆがみのせいで、凶悪事件を起こしやすくなっているのではないか」と警察から疑われ、連続放火事件の被疑者として一時拘留されます。瞬も愛情には恵まれない身の上で、恋人もおらず、世間でも認められないという、いわば八方ふさがりの状態でしたから、世の中や親に復讐するために、放火事件を起こしたとしても不思議ではありません。

けれど、彼はその一線を越えることはしませんでした。というより、作り手である私が、それをさせることを躊躇したのです。「すべてがうまくいかない、もう、全部終わりにしたい」そんなやり切れなさを抱えている爆発寸前の「成人した子どもたち」がかなりの数いることは、もちろん私も察していたのですが、それ故に、踏みとどまることの大切さを描きたかったのです。

「条件つきでしか子どもを愛さなかった親はたしかに悪い。子ども時代、どんなにそれで淋しい思いをしたかは、きちんと親に伝えるべきだ。しかし、親も万能ではない。だから、親と子が、ある時期にきちんと向き合い、古い関係を修復し、新しい関係を構築していく必要がある。それが、現代の親子関係を救済するカギだ」
というのが、この作品のまぎれもないテーマです。それは「お母さん、言いたいことがあります」というキャッチコピーにも端的に現われていると思います。

ですから、この映画を公開して数ヶ月のうちに、こうも次々と「親への復讐」が根底にある犯罪が起きてしまうと、作ったこちらとしては無力さばかりを感じてしまいます。このテーマを選んだことは、やはり大変時勢にかなっていたのだと思う一方、何故彼らは、行動を起こす前に今一度胸に手を当て、凶行を踏みとどまってくれなかったのかと、やり切れない気持ちでいっぱいです。過去は変えられないにしろ、今をどうにか充実させて生きることは、決して不可能ではないはずなのに…。少なくとも、「親への復讐」を口実に、まったく無関係の他人を傷つけるなど、どういう事情があるにせよ、許されるはずはないのです。

「凍える鏡」は、親のエゴイズムがいかに子どもの心をゆがめるかを指摘するだけの映画ではありません。今を、そしてこれからを生きていくためのヒントも、さりげなくちりばめてある映画だと自負しています。願わくは、同じような事件が、もうこれ以上起こりませんように。(2008/08/06)